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東京高等裁判所 平成5年(ネ)5212号 判決

主文

一  当審における控訴人らの新請求をいずれも棄却する。

二  控訴費用は、控訴人らの負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人ら(当審において、原審における請求を取り下げて、新たな請求をした。)

(主たる請求)

1 被控訴人は、控訴人川浦興産有限会社に対し金二〇万円及びこれに対する平成四年五月一五日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、控訴人弥栄興産株式会社に対し金二二五二万五〇〇〇円及びこれに対する平成四年五月一五日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2 控訴費用は、被控訴人の負担とする。

3 仮執行の宣言

(控訴人弥栄興産株式会社の予備的請求)

1 被控訴人は、控訴人弥栄興産株式会社に対し、金一五九一万三〇〇〇円及びこれに対する平成四年五月一五日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

2 右一の2、3項同旨

二  被控訴人の答弁

1 当審における控訴人らの請求をいずれも棄却する。

2 新たな請求にかかる訴訟費用は、控訴人らの負担とする。

第二  事案の概要

本件は、株式の信用取引の決済に際して損失金が発生した場合に預託してある担保有価証券を売却するときには、連日株価が一方的に下げ続けている状況の下にあっては、証券会社たる被控訴人に、顧客たる控訴人らに損失が拡大しないように早期に売却する義務があるか否かが争いとなり、控訴人らは、被控訴人がその義務に違反して売却が遅れたことによって損害が発生したとして、被控訴人に対し、その損害の賠償を求めた事案である。

一  争いのない事実

1 控訴人川浦興産有限会社(以下、「控訴人川浦」という。)は不動産の売買・賃借等を目的とする会社、控訴人弥栄興産株式会社(以下、「控訴人弥栄」という。)は不動産の取得・賃貸等を目的とする会社であり、被控訴人は有価証券の売買等を目的とする会社である。

2 控訴人川浦は、昭和六三年七月二一日、被控訴人との間で信用取引口座設定約諾書により同設定契約を締結したうえ、同年九月二〇日以降、株券等の信用取引(以下、「本件(一)信用取引」という。)を開始し、右取引に基づいて控訴人川浦が負担する債務を担保するため、被控訴人に対し、平成三年一二月当時、原判決別紙株券目録(一)記載の株券(以下、「本件(一)株券」という。)を信用取引担保株券として預託し、かつ、平成四年一月六日現在、信用取引委託保証金として七四七万〇三四二円を預託していた。

3 控訴人弥栄は、昭和六三年七月二一日、被控訴人との間で信用取引口座設定約諾書により同設定契約を締結したうえ、同月二二日以降、株券等の信用取引(以下、「本件(二)信用取引」という。)を開始し、右取引に基づいて控訴人弥栄が負担する債務を担保するため、被控訴人に対し、平成三年一二月当時、原判決別紙株券目録(二)記載の株券(以下、「本件(二)株券」という。)を信用取引担保株券として預託し、かつ、平成四年一月六日現在、信用取引委託保証金として一〇二九万〇三四〇円を預託していた。

4 本件(一)信用取引及び本件(二)信用取引は、控訴人川浦及び控訴人弥栄の代表者である川浦一彦(以下、「川浦」という。)が窓口となって取引を行い、被控訴人においては、平成元年八月頃以降、本店営業部営業第三課長である河野弘人(以下、「河野」という。)が担当した。

5 信用取引の決済期限は、東京証券取引所が定める受託契約準則により買付約定日から六ヶ月以内とされている(第一三条の五第一項)。

6 被控訴人は、控訴人弥栄に対し、平成三年一〇月二一日到達の書面をもって、同年四月二二日に買付約定をした千代田化工建設株九万二〇〇〇株及び翌二三日に買付約定をした日本冶金工業株一〇万株につき、信用取引の決済期限の前日(千代田化工建設株につき同月二一日正午、日本冶金工業株につき同月二二日正午)までに反対売買その他の方法による決済の指示をすべく、右日時までにその指示がないときには、被日控訴人において東京証券取引所受託契約準則及び信用取引口座設定約諾書の定めに基づいて、控訴人弥栄の計算により前者につき同月二二日前場寄付で、後者につき同月二三日前場寄付で、それぞれ反対売買による決済を行い、これによる損失金を生じた場合には、控訴人弥栄が被控訴人に預託している保証金及び担保有価証券売却による売得金を右損失に充当する旨通知した。

また、被控訴人は、控訴人川浦に対し、同年一一月二七日到達の書面をもって、同年五月三一日買付約定をした日新製鋼株四万株及び日立造船株五万株につき、同月二八日午後三時までに反対売買その他の方法による決済の指示をすべく、右日時までにその指示がないときには、被控訴人において東京証券取引所受託契約準則及び信用取引口座設定約諾書の定めに基づいて、控訴人川浦の計算により同月二九日前場寄付で反対売買による決済を行い、これによる損失金を生じた場合には、控訴人川浦が被控訴人に預託している保証金及び担保有価証券売却による売得金を右損失に充当する旨通知した。

二  証拠により認められる前提事実

《証拠略》によれば、本件紛争の経緯に関し、次の事実が認められる。

1 控訴人川浦及び控訴人弥栄の代表者である川浦は、両控訴人を代表して、あるいは自己名義で、被控訴人を介して、株の現金取引や、信用取引を行っていたところ、控訴人川浦について平成三年五月三一日買付約定をしたとされる日新製鋼株四万株及び日立造船株五万株の信用取引、控訴人弥栄について同年四月二二日買付約定をしたとされる千代田化工建設株一〇万株及び同月二三日買付約定をしたとされる日本冶金工業株一〇万株の信用取引に関して、買付約定後間もなく、発注をしたことがないと主張するようになり、発注を受けた旨主張する被控訴人との間で決済に関し紛争が生じた。

なお、千代田化工建設株八〇〇〇株については同年五月二八日現引きがされた。

2 右買付約定をした千代田化工建設株一〇万株の単価は三〇二〇円、右日本冶金工業株一〇万株の単価は一〇一〇円であった。

また、右買付約定をした日新製鋼株四万株の単価は七五九円、右日立造船株五万株の単価は六九三円であった。

3 本件紛争については、平成三年六月下旬頃からは、河野の上司である、斉藤幹雄本店営業部次長、滝口正則本店営業部長、中島敏光取締役(東京地区長)らも中に入って調整が行われたが、話合いは平行線をたどっていた。

4 控訴人弥栄が被控訴人からの決済指示の催告にもかかわらず所定の決済期日までに決済の指示をしなかったため、被控訴人は、平成三年一〇月二二日に千代田化工建設株を単価二三六〇円で、同月二三日に日本冶金工業株を単価七八〇円で売却したところ、前者につき七五三四万一三六〇円、後者につき二八六五万二五二二円、合計一億〇三九九万三八八二円の損失(いずれも、委託手数料、信用取引利息等を含む。)が発生した。

5 被控訴人は、控訴人弥栄に対し、平成三年一一月六日付け文書で、信用取引による決済損失金一億〇三九六万九八八二円を同月一一日午後三時までに支払うよう催告するとともに、その支払が所定の期限までにされなかったときには、東京証券取引所受託契約準則及び信用取引口座設定約諾書の定めに基づいて、控訴人弥栄が差し入れている保証金現金一〇二九万〇三四〇円より充当し、不足の九三六七万九五四二円については保証金代用有価証券の中から充当可能な範囲で、銘柄、数量を選定し、翌日の一二日前場寄付にて売却し、その売得金により不足損失金に充当する旨通告した。

それに対し、控訴人弥栄は、同月八日付で担保有価証券の売却を拒否する旨を被控訴人に通告した。

また、川浦は、被控訴人の友好同業者である松彦証券株式会社の松浦敏夫会長(以下、「松浦」という。)に仲介を要請し、被控訴人は、松浦から事情説明を求められたため、同月一一日付で、控訴人弥栄に対し、担保有価証券の売却を延期し、松浦に対する事情説明を踏まえて対処する旨通告した。

6 同月一五日、被控訴人は、松浦に事情を説明した。その際、松浦は、被控訴人に対しては、控訴人らと被控訴人とを仲介するような立場にないと説明していた。また、右松浦は、川浦に対しては、話合いでの解決は難しく、訴訟による解決か、監督官庁である大蔵省に通告して、その指導によらなければ解決は難しい旨の説明をした。

7 控訴人弥栄の代理人弁護士は、同月二三日付で、被控訴人に対し、買付の申込みを否定するとともに、担保有価証券の処分等を強行し、損害を与えた場合には法的手段により責任を追求する旨及び松浦の意向を十分配慮されたい旨を通告した。

8 それに対し、被控訴人の代理人弁護士は、同年一二月二〇日付けで、控訴人弥栄の代理人弁護士に対し、買付が控訴人弥栄の指示承認に基づいて行われたものであることを告げるとともに、反対売買による損失金一億〇三九六万五八八二円を文書到達後三日以内に支払うよう催告し、その支払がない場合には、受託契約準則及び信用取引口座設定約諾書の定めに基づき、控訴人弥栄が差し入れた保証金を損失金に充当し、不足あるときには差し入れた保証金代用有価証券を売却し、その売得金を損失金に充当する旨を通知した。その文書は、同月二四日に控訴人弥栄の代理人弁護士に到達した。

9 そして、被控訴人は、控訴人弥栄が有していた投資信託に対する利払金二万八〇〇〇円を右損失金に充当したうえ、平成三年一二月三〇日、本件(二)株券を控訴人弥栄の計算において売却し、平成四年一月八日、その売得金九五八五万三四一〇円(委託手数料控除)、信用取引委託保証金一〇二九万〇三四〇円及び日本冶金工業株に対する配当金二〇万円につき、右損失金残額に充当し、同月一七日、右決済後の売得金残額二三七万七八五八円を剰余金として控訴人弥栄に返還した(このうち、被控訴人が平成四年一月一七日に二三七万七八六八円を控訴人川浦に支払ったことは当事者間に争いがない。)。

10 他方、控訴人川浦の代理人弁護士も、平成三年一一月二三日付で、被控訴人に対し、買付の申込みを否定するとともに、担保有価証券の処分等を強行し、損害を与えた場合には法的手段により責任を追求する旨及び松浦の意向を十分配慮されたい旨を通告した。

11 控訴人川浦も被控訴人からの決済指示の催告にもかかわらず所定の決済期日までに決済の指示をしなかったため、被控訴人は、同年一一月二九日に日新製鋼株を単価四四九円で、日立造船株を単価六五〇円で売却したところ、前者につき一四一二万七八三五円、後者につき四二〇万七八五九円、合計一八三三万五六九四円の損失(いずれも、委託手数料、信用取引利息等を含む。)が発生した。

12 そして、被控訴人の代理人弁護士は、同年一二月二〇日付けで、控訴人川浦の代理人弁護士に対し、買付が控訴人川浦の指示承認に基づいて行われたものであることを告げるとともに、反対売買による損失金一八三一万九六九四円を文書到達後三日以内に支払うよう催告し、その支払がない場合には、受託契約準則及び信用取引口座設定約諾書の定めに基づき、控訴人川浦が差し入れた保証金を損失金に充当し、不足があるときには差し入れた保証金代用有価証券を売却し、その売得金を損失金に充当する旨を通告した。その文書は、同月二四日に控訴人川浦の代理人弁護士に到達した。

そのうえで、被控訴人は、控訴人川浦が有していた投資信託に対する利払金一万六〇〇〇円を右損失金に充当し、控訴人川浦に対し右損失金残額一八三一万九六九四円の弁済を催告したうえ、平成三年一二月三〇日、本件(一)株券を控訴人川浦の計算において売却し、平成四年一月八日、その売得金一一四七万〇七四九円(委託手数料控除)、信用取引委託保証金七四七万〇三四二円及び日新製鋼株に対する配当金一一万二〇〇〇円につき、右損失金残額に充当し、同月一七日、右決済後の売得金残額のうち七〇万円を控訴人川浦に返還し、さらに同年二月二六日残金から有価証券郵送保険料四五二二円を控除した残金二万八八七五円を剰余金として返還した(このうち、被控訴人が平成四年一月一七日に七〇万円を控訴人川浦に支払ったことは当事者間に争いがない。)。

13 控訴人川浦及び控訴人弥栄と被控訴人との間の信用取引口座設定約諾書中には、信用取引にかかる売買取引を執行する証券取引所の受託契約準則に従うことを約する旨及び控訴人川浦又は控訴人弥栄が信用取引に関し、被控訴人に対し負担する債務を所定の時限までに履行しないときは、通知、催告を行わず、かつ、法律上の手続によらないで、担保として預け入れている有価証券を、控訴人川浦又は控訴人弥栄の計算において、その方法、時期、場所、価格等は被控訴人の任意で処分し、それを適宜債務の弁済に充当されても異議ない旨の条項が存在する。

また、東京証券取引所受託契約準則中には、証券会社が信用取引を決済するため、顧客の計算において反対売買を締結したことにより損害を被ったときには、証券会社は、顧客のために占有する金銭及び有価証券をもって、その損害に充当し、なお不足があるときには、その不足額の支払を請求することができる旨を定める条項が存在する。

以上の事実が認められる。

三  争点

1 控訴人ら

(一) 証券取引法四九条の二は、証券会社及びその従業員の顧客に対する誠実公正義務を定めているが、証券会社と顧客との関係は債権契約に基づくものであるから、両者は、相互に相手方に対して債権法上の信義誠実義務を負う関係にあり、明文の規定がなくても、証券会社の顧客に対する誠実公正義務を認めることができる。この誠実公正義務とは、一言で言えば、証券会社が、取引のそれぞれの局面に応じて、顧客の適正な利益を図り、あるいは顧客に不当な損害を与えないように行動すべき義務であると解すべきである。

平成三年に入って、バブル経済崩壊の影響を受けて株価が下落の傾向を続けていたのであるから、その傾向を十分承知している証券会社としては、顧客の損失の拡大を防止するため、できるだけ早く担保有価証券を売却する義務があり、この義務は、顧客に対する誠実公正義務の適用の一場合である。したがって、証券会社たる被控訴人が担保有価証券の売却を遅らせれば、正当な理由がない限り、顧客に対する誠実公正義務に違反するものであって、それによって生じた損害を賠償すべき義務がある。

東京証券取引所受託契約準則には、担保有価証券をもって損害に充当する場合の売却の時期について明示の定めは存在しないが、担保有価証券の売却の権利を有しているのは証券会社だけなのであるから、証券会社としては、自己及び顧客の双方の利益のために担保有価証券を早期に売却すべきことを黙示的に定めているものと解すべきであり、本件の信用取引口座設定約諾書の担保有価証券の処分の時期についての「貴社の任意で」との定めも、証券会社にとって正当な事由がある場合には反対売買後若干の日時を置いても良いという趣旨のものと理解すべきである。

(二) 被控訴人は、誠実公正義務ないし損害拡大防止義務に従って、反対売買の日の翌取引日から連続五取引日内に担保有価証券を売却すべきであったから、売却すべき日の株価(五連続取引日の終値の平均)と現実に売却した日の株価との差額に株数を乗じた額の損害を賠償すべきである。すなわち、

(1) 控訴人川浦が担保として提供していた「任天堂」株の平成三年一二月二日から同月六日までの株価終値の平均は一万一八〇〇円であるところ、現実に売却した同月三〇日の株価は一万一六〇〇円であったから、控訴人川浦が被った損害額は、次のとおり二〇万円となる。したがって、控訴人川浦は、右損害金及びそれに対する損害発生日の後である平成四年五月一五日から支払済みに至るまで商事法定利率である年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

[(11、300+11、500+12、100+12、100+12、000)÷5-11、600]×1、000=200、000

(2) 控訴人弥栄が担保として提供していた各株の平成三年一〇月二四日から同月二八日までの各株価の平均は次のとおりであるところ、被控訴人が現実に売却した同年一二月三〇日の株価は次のとおりであるから、控訴人弥栄が被った損害額合計は、次のとおり二二五二万五〇〇〇円となる。したがって、控訴人弥栄は、主位的に、右損害金及びそれに対する損害発生日の後である平成四年五月一五日から支払済みに至るまで商事法定利率である年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

〈1〉 任天堂

[(14、200+14、100+14、100+14、300+13、900)÷5-11、600]×2、000=5、040、000

〈2〉 シャルレ

[(6、400+6、300+6、100+6、150+6、100)÷5-4、500]×2、000=3、420、000

〈3〉 間組

[(956+955+928+945+915)÷5-809]×7、000=917、000

〈4〉 トーヨーサッシ

[(3、290+3、310+3、350+3、310+3、310)÷5-2、580]×10、000=7、340、000

〈5〉 サンリオ

[(2、930+2、830+2、730+2、800+2、770)÷5-1、930]×5、000=4、410、000

〈6〉 ソキア

[(1、710+1、790+1、820+1、830+1、840)÷5-1、350]×1、000=448、000

〈7〉 東急不動産

[(720+715+710+710+695)÷5-615]×10、000=950、000

(三) 仮に、反対売買の日の翌取引日から連続五取引日内に売却すべき義務がないとしても、被控訴人は、控訴人弥栄に対し、平成三年一一月一二日前場寄付で売却する旨通知してきていたのであるから、同日前場で売却すべきであったのであり、控訴人弥栄は、そのときの株価と実際の売却日である一二月三〇日前場との差額に株数を乗じた額の損害合計一五九一万三〇〇〇円を被った。したがって、控訴人弥栄は、予備的に、右損害金及びそれに対する損害発生日の後である平成四年五月一五日から支払済みに至るまで商事法定利率である年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

一一月一二日の売却を延期したのは、同月一五日に松浦に事情説明をし、その結果を待って対処したいと言うことのようであるが、既に反対売買は行われていたし、松浦は控訴人らの代理人でもなく、売却を延期する理由とはならない。

〈1〉 任天堂

[13、300-11、600]×2、000=3、400、000

〈2〉 シャルレ

[6、060-4、500]×2、000=3、120、000

〈3〉 間組

[878-809]×7、000=483、000

〈4〉 トーヨーサッシ

[3、020-2、580]×10、000=4、400、000

〈5〉 サンリオ

[2、630-1、930]×5、000=3、500、000

〈6〉 ソキア

[1、720-1、350]×1、000=370、000

〈7〉 東急不動産

[(679-615]×10、000=640、000

2 被控訴人の主張

(一) 証券取引法四九条の二の規定は、平成四年六月五日に公布された改正法によって新設されたものであり、平成三年中に決済及び担保有価証券の処分がなされた本件信用取引には適用の余地がない規定であり、しかも、同条は、証券会社の業務を一般的に規制する行政取締法規であり、証券会社と顧客との間の具体的な私法上の取引関係を規律する性質のものではない。また、同条が定める誠実公正義務は、個別的な顧客保護を目的とするものではない。

証券会社が行う担保有価証券の売却は、証券会社が顧客に対して有する金銭債権を回収するための担保処分権能として認められたもので、右売却は、証券会社の権利であって、義務ではない。したがって、義務の存在を前提とする控訴人らの主張は理由がない。誠実公正義務は、具体的な取引関係を規律する効力を有するものではなく、また、本件に適用されるものではないから、控訴人ら主張の根拠ともなり得ない。

(二) 担保有価証券の売却は証券会社の権利であって、義務ではなく、これを早期に売却すべき義務もない。

そもそも、株価は変動し、予測は不可能なのであり、株価の動向を前提として処分時期の当否を判定することは、証券会社に過度の株価予測能力を要求する結果となり、失当である。仮に株価が下落の傾向にあることを前提としても、株価は何時反騰するか予測困難なのであるから、担保有価証券の早期処分を求める根拠とはなり得ない。控訴人らの主張する損害は、証券市場における株価の推移に伴う結果論にすぎない。

売却の時期、方法は、証券会社の裁量に委ねられているものであり、処分時期等の当否が信義則の適用を受ける限度で例外的に問題となるにすぎず、前記のような処分に至る経緯によれば、被控訴人に信義則違背その他の違法、不当な点は存在しない。

(三) 控訴人弥栄へ有価証券処分の通知をした後、それを延期したのは、右通知後間もなく、松浦から被控訴人に対し事実関係説明の要請があり、その説明後、さらに控訴人代理人から松浦の意向を配慮されたい旨の要請があったため、処分を手控えたものであり、そのような経過においては、処分権限を暫時差し控えた被控訴人の措置は、妥当な裁量判断であった。

第三  争点についての判断

一  控訴人川浦関係及び控訴人弥栄の主たる請求関係

1 控訴人川浦がした日新製鋼株及び日立造船株についての信用取引の決済に際し合計一八三三万五六九四円の損失が発生し、また、控訴人弥栄がした千代田化工建設株及び日本冶金工業株についての信用取引の決済に際し合計一億〇三九九万三八八二円の損失が発生したのであるから、被控訴人がその損失金の支払を請求し、その支払がないときは担保有価証券を売却し、その売得金を損失に充当する権利が認められていることは、信用取引口座設定約諾書上明らかである。

そして、その約諾書によれば、その売却の時期、場所、方法、価格等については、被控訴人の裁量に委ねられている。

しかし、その売却が自己の債権回収のために認められるものとしても、他人との契約に基づき他人の財産権を売却するものであるから、債権法上善良な管理者としての注意義務が課されるものであり、売却に当たっては、可能性がある限度で高価に売却する義務があるものと言うべきであり、被控訴人に裁量が認められるとしても、そのような義務に反しない範囲内で認められるものにすぎないものである。

本件(一)株券及び本件(二)株券の各株式とも、株式市場に上場されているので、市場価格を下回る売却は前記した債権者の義務に反するものであるが、本件では、いずれの株式も市場価格で売却されているから、売却価格、売却方法の点では相当な売却であったと認められる。

2 ところで、《証拠略》によれば、平成三年秋頃には、株価が下落する傾向が続いており、本件(一)株券及び本件(二)株券の各株式も、いずれも平成三年一〇月下旬以降価格が一時若干の反騰をすることはあったものの、ほぼ下落を続けていたこと及び控訴人ら主張の各期日の各株式の終値が控訴人ら主張のとおりであったことが認められる。

控訴人らは、右認定の事情を前提として、顧客から提供されている担保株式を被控訴人が売却するには、損害拡大防止義務の一貫として損害の発生を最小限に留めるため早期に売却すべき義務があり、それを怠ったことによって生じた損害は義務を怠った被控訴人が負担すべきものと主張するところである。

3 確かに、債権者が自己の債権回収のために他人の財産権を売却する権利が認められている場合でも、その財産権の価格が確実に下落することが客観的に明らかなときには、債権者は、善良な管理者としての義務の一貫として、早期に目的物を売却する義務があると認められる。

しかし、市場に上場されている株式の株価については、常に変動するものであり、それを確実に予測することは困難であって、たとえ下落の傾向が続いていたとしても、いずれ反騰に転じる時期が到来することが予測されるものであるが、その反騰に転じる時期を、したがって下落の傾向が何時まで続くのかを予測することもまた困難であり、証券会社であっても、それを確実に予測することを期待するのは、無理を強いるものと言うべきである。したがって、本件において、控訴人らの財産権(本件各株式)の価格が確実に下落することが客観的に明らかな場合に該当すると認めることはできないから、被控訴人に早期売却の義務があったと認めることはできないものと言わねばならない。

本件では、結果的には、控訴人らの主張のように早期に売却していれば損失金が少なかったことは認められるが、右のように株価の変動の予測が困難であることを考慮すると、下落の傾向が今後も続くことを前提として、早期に売却すべき義務が被控訴人にあるとすることはできないものと言うべきである。

したがって、早期に売却すべき義務があることを前提とする控訴人らの主張は、その余の点について判断するまでもなく理由がないものと言うべきである。

二  控訴人弥栄の予備的請求関係

1 被控訴人が控訴人弥栄に対し担保有価証券を平成三年一一月一二日前場寄付で売却する旨の通告をしたこと、これに対し控訴人弥栄が拒否の通告をし、その後、松浦が仲介に立ったため、被控訴人が売却の延期を通告したことは、第二、二、5において認定したとおりである。

2 このように、担保有価証券の売却に顧客が反対し、また、事情説明を求める松浦が現れ、しかもその者が友好同業者の会長職にあるものと言うのであるから、そのような事情を考慮して売却を延期した被控訴人の措置は相当であり、最初に売却告知をした一一月一二日前場寄付で売却すべき義務があることを前提とする控訴人弥栄の主張は、その余について判断するまでもなく理由がないものと言うべきである。

松浦が控訴人らの代理人でなかったとしても、控訴人らの依頼により被控訴人に事情説明を求めてきた経緯に照らせば、売却を延期した措置は、相当なものと認めるべきである。

3 確かに、第三、一、2において認定したように本件(二)株券の株式の価格も下落を続けたため、控訴人弥栄主張のように、一一月一二日前場で売却していれば、結果的には、損失額が減少していたことは認められるが、株価の下落が今後とも持続されることの予測が困難なこと、早期売却の義務が認められないことは前記したとおりであり、結局、控訴人弥栄の主張は理由がない。

第四  結論

よって、当審での請求は、その余について判断するまでもなく理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 越山安久 裁判官 田中康久 裁判官 高橋勝男)

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